7th ASAKUSA NEW YEAR ROCK FESTIVAL 1979-1980

浅草国際劇場

80年への狙撃!! 紅白だけが祭りじゃない!!

RCサクセション

忌野清志郎(ボーカル)/小林和生(ベース)/新井田耕造(ドラムス)/仲井戸麗市(ギター)/小川銀次(リード/ギター)

COMMENT: 俺たちの平均身長は、まちがいなく、多分169センチ位だ。80年代になってもそれは変わりゃしないだろう。何しろすごいメンバーがそろってるから、ゴキゲンなバンドだから80だろうが90だろうが100だろうが、ど〜ってコトないぜ!そりゃあ大変なもんだよ。おいらの言ってる意味が、きっとすぐにわかるだろう。キミのお父さんにも紹介しておくれよ。だけどさァ、なんでボク達のレコード売れないのよ? 忌野清志郎

PROFILE: ある日、忌野清志郎はいうものように「考え」をめぐらせていた。彼はいつでもめぐらせているのだ。彼は適当な思いつきなどで、事を運んだりはしない。あれは夏の鈍より雲った憂うつな日だった。仲井戸麗市という青年演奏家が来た。以前から様々な楽器の研究を続けているが、今回は電流を流すと大きな音を出す楽器というのを見せに来た。彼は得意そうに弾き出したが見ると、それはエレキだった。小林は「リンコ・ワッショ」もしくは「淋古」などと名を変え、バンドを継続している旧友の若いベーシストだが、彼は頑固にコントラ・バスを弾き、エレキベースを弾こうとはしなかった。感電すると思っていたのだ。だが、仲井戸が無事と聞くと確認の上、エレキを弾いた。ドラムの新井田耕造は急に降り出した激しい雨の中を尾行されていた。尾行していた男は、彼を喫茶店に連れ込み、覆面を取ると、メンバーにならないかと言った。新井田は、ゥ分もこのように見事に覆面をして、誰かを尾行したいと考え、すぐにメンバーになった。流れ者のギターボーイ、小川銀次がメンバーに加わったのは、それから間もなくのことだ。彼は自分がリーダーの流れバンドを運営していたが、「君はバンドリーダーの器ではない。一生うだつの上がらぬ、ギター弾きでしかない。」と説得され、自分の進むべき真の道を知った。こうして、RCサクセションは5人のメンバーが集まり、各地で今日も数々の発表?をし続けている。

地味変